動き始める中心街
2022年度になり、青森の新聞を賑わせている「八戸中心街の衰退」。
三春屋、チーノが閉店し、フォーラム八戸も閉館が決まりました。八戸市民であれば、今までの経緯を知っていれば中心街の復活をあきらめている方も多いのではないでしょうか。
今までマチニワ、はっち、八戸ブックセンターができ、八戸市美術館もリニューアルされ、八戸市中心街を盛り上げるための策が講じられてきました。1つ1つの評価はしませんが、評価の高い施設もあります。しかし多額の税金が投入されているのに対し、「八戸中心街の復活には寄与していない」事だけは現状を見れば確かです。
しかしここにきて今までとは少し違う新たな動きが見えてきました。それは八戸市が国の補助制度を活用し、中心街「チーノ」再開発に14億円の多額の補助すると発表した事です。これの「何が今までと違うのか?」をお話していきたいと思います。
衰退の経緯
1980年代、八戸中心街は人で溢れていました。週末の飲食店は大行列、駐車場に車を止めるのにも30分以上かかるのは当たり前でした。イトーヨーカドー(現閉店したチーノ)方面から、長根公園を通り越し熊野堂あたりまで車が並んでいたのを記憶しています。順番に出来事を追っていきます。
①1990年、長崎屋移転(江陽にあるラピアへ)
私にとってはこれが最初の出来事です。中心街は以前より人は減ったものの、まだ「衰退」という名のついた時期ではなかったと思います。長崎屋は全国的なスーパーチェーン店で、ちょうど移転の後くらいから長崎屋は経営難に陥っていました(2000年に一度経営破綻しましたが、ラピアは残りました)。この時は中心街が衰退するなどと思っていなかったので「中心街から出ていくなんて、長崎屋はやっぱり経営音痴なのか?」と思ったものです。しかし時が経ち、今でも人で賑わうラピアと、中心街の違いを見れば、長崎屋がいかに先見の明があったかがわかります。これがイオンモール下田ができる前に決断しているので、なおさらです。
②1995年、イオンモール下田(旧イオン下田ショッピングセンター)開店
この時はまだ「ジャスコ」という呼び方もしていた記憶があります。郊外型の大型施設が多くなり始めたのもこの頃です。八戸、三沢の人の流れはここで大きく変わりました。
③1998年ピアドゥ開店、2009年シンフォニープラザ開店
併設するアクロスプラザも含め、沼館地区、江陽地区への人の流れは止められなくなりました。この辺は八戸市民であれば説明不要で多くの年代の方が知るところだと思います。後述しますが、この辺りで「商業地域としての中心街の需要」はほぼ無くなっていると思うのは私だけでは無いはずです。しかし、この後にも八戸の商業地域の方向性を変えてしまう問題が起きます。個人的には次の④のほうが残念な内容でした。
④2012年、イオン八戸田向開店
ここは中心街の衰退には関係ないかもしれません。しかし、このイオン八戸田向の開店は八戸の商業地区の方向性を変えてしまいました。少しここを掘り下げてお話します。
改正都市計画法とイオン八戸田向
田向地区は(実際は河原木地区も)2000年中ごろ大型商業施設建設の話で盛り上がりました。しかし、2007年頃施行される「改正都市計画法」により、中心市街地を守るため10000m²を超える大型商業施設の建設はハードルが高くなっています。しかし全く建設できないというものではなく、行政側の判断で建設できる区域を判断できるもののため、八戸市側の判断が注目され、市長選挙でも立候補者の考えが注目されました。
2005年まで当時の現職中村寿文市長は明確に反対、立候補する小林眞元市長は???という状態で「必要だったら用途地域の見直しする」という曖昧な雰囲気であり、当時の私にはどっちにも取れるように聞こえてました。結果は小林眞元市長の勝利。しかし後に小林眞元市長は大型商業施設建設は認めない判断を下しました。
中心街を守るためのこの判断。結果として中心街を守るための策としては機能しませんでした。しかし小規模で出店せざるを得なかった「イオン八戸田向」は今でも毎日賑わいを見せています。はっきり言えるのは中心街には無いニーズが他の場所で満たされてしまった以上「これ以上、大型商業施設建設を抑制しても中心街の衰退には関係ない」という事実です。
後から「ほら、見たことか」と言うのは簡単、当時の判断として誤っていたかなんて未来は誰にもわかりません。しかし、八戸市には同じ過ちを繰り返して欲しくはありません。なぜなら「中心街の衰退」は同じ結果だったとしても、東北最大級だったかもしれない商業施設建設をあきらめ膨大な経済効果を取り損ねたという代償は非常に大きかったのですから。
需要(消費)と供給(店)のバランス
中心街には無いニーズ、全国で寂れた場所は多く理由は様々。「駐車場」「アクセス」「店の種類」「雰囲気」。そのニーズを全て中心街が埋めるのが難しいですが、八戸市はそれを埋めようと必死です。しかし、短期間で八戸が元々持っている需要が大きく増える事はありません。私の貯金は明日いきなり大きく増える事はありませんので。
八戸市は変わらない需要を中心街に持ってこようとしてますが、仮に中心街が復活しお金が中心街に流れたら、ラピアやピアドゥなど他の場所に流れるお金は減るのです。八戸全体の経済としては何もメリットはありません。三春屋やチーノも含め、中心街の大半は民間です。行政が民間の片方を肩入れしている構図になるのはあまりいい話ではありません。大きな建物のレガシーを残さない事、これを目的にするのであれば、それはラピアやピアドゥも一緒です。
中心街を考えるにしても、「どちらか片方」ではなく、もう少し「八戸全体」の経済を良くする発想にならないものでしょうか?
希望の光が見えたか?
長々と話しましたが、ここで最初に話した内容「八戸市が国の補助制度を活用し、中心街「チーノ」再開発に14億円の多額の補助」に戻ります。今までも民間への補助はありました。しかし今回は額が大きいです。
今までと同じ「商業地域」としてだけの補助であれば、ニーズが無い所に無理やりお金を突っ込むだけで「あぁ、またか」というイメージを持ちますが、今回は内容が少し異なります。
- 分譲マンション2棟
- 飲食・物販・ホテル
- 駐車場
中心街を「住宅地域」にする流れです。「商業地域だけ」としての復活は難しいですが、「住宅地域」として発展する事で既存の店舗も活かすのであれば、少なくとも「レガシーは増やさない」「八戸全体の経済も落とさない」方法になりえるのでは無いでしょうか。事実、既にここ数年で建てられた分譲マンションは好評のようです。つまり「住宅地域としてのニーズはある」という事でしょう。
2021年に市長就任した熊谷雄一市長は、早くも大きな賭けに出たようにも見えますが、今までのように「商業地域としてだけ復活させたい」という無理難題を押し通すのではなく、市民のニーズを考えている所に非常に好感を持ちました。
昔からの中心街を知ってる人にとっては、住宅地も入る事に多少引っかかる思いはありますが、無理な方向を模索するより、郊外も中心街も発展する事を考えるのが優先でしょう。
さらに言うと「ビジネス地域」として広がるのも有効ではないでしょうか。市庁舎に近い場所がビジネスとして発展するのは何も違和感はありません。「住宅地域」と「ビジネス地域」が近いのは非常にメリットがあります。消費も中心街で増えるでしょう。みろく横丁、マチニワ、八戸ブックセンターとも相性がいいと思います。
中心街は「コワーキングスペース」が増えてきました。ただ「コワーキングスペース」のような小規模だけではなく、YAHOO八戸センター様のように大規模な企業が中心街に来てくれると非常にありがたいです。Garden Terraceのように大規模な企業スペースを提供する手助けをしたり、今でも行われていますが中心街の企業誘致をが進んでいくと、中心街の雰囲気は以前とは変わるかもしれませんが、新しい顔としての復活と言えます。
チーノの再開発も民間に対してですが、その再開発の内容に賛同したからこその補助です。今までははっちの建設やマチニワの参画のように商業あるいは観光にこだわったもの、八戸ブックセンターや美術館のような文化系施設に力を入れており、1つ1つはイベント毎に集客しているのかもしれませんが、恒久的には人は増えていません。私には今回の補助は少しだけ希望の光が見えました。ハードルは高く長期戦だと思いますが、今回は期待して見守りたいと思います。